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岡山地方裁判所倉敷支部 昭和55年(ワ)18号 判決

原告

建本民雄

ほか一名

被告

兵動利行

主文

一  被告は、原告建本民雄に対し三七五万二五五四円及び内金三四〇万二五五四円に対する昭和五四年九月五日から、内金三五万円に対する昭和五五年二月七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告建本民雄の被告に対するその余の請求ならびに原告有限会社建本工業の被告に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告建本民雄と被告との間に生じたものは、これを二分しその一を同原告、その余を被告の各負担とし、原告有限会社建本工業と被告との間に生じたものは、すべて同原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は

(一) 原告建本民雄に対し、八〇〇万円及びこれに対する昭和五四年九月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(二) 原告有限会社建本工業に対し二八〇万円及びこれに対する昭和五四年九月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告建本民雄(以下「原告建本」という)は、次の事故によつて受傷した。

(一) 日時 昭和五四年九月五日

(二) 場所 倉敷市水島中通二丁目一番四号先路上

(三) 加害車 普通乗用自動車

運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車

運転者 原告建本

(五) 事故の態様 交差点の手前で停止中の被害車に加害車が追突

(六) 受傷 頸椎捻挫

2  責任原因(自動車損害賠償保障法三条、民法七〇九条)

被告は、加害車を所有し、自己の運行の用に供していた。そして、本件事故について、被告は前方注視義務を怠つた過失がある。

3  原告建本の損害

(一) 治療関係費 四〇万七五〇二円

(1) 治療費

原告建本は、本件事故による傷害のため、本件事故当日から昭和五四年一〇月二日までの間水島第一病院に、同日から同年一二月一五日までの間倉敷中央病院に合計一〇二日間入院し、翌一六日から昭和五五年九月八日まで同病院に通院して治療を受け、その治療費として昭和五四年一一月以降三〇万五五〇二円を支出した。

(2) 入院雑費

原告建本は、右一〇二日の入院期間中雑費として一日当り一〇〇〇円の割合による一〇万二〇〇〇円を支出した。

(二) 休業損害 三六〇万円

原告建本は、本件事故当時、原告有限会社建本工業(以下「原告会社」という)の代表取締役として、事業の経営に当り、毎月三〇万円の給与を得ていた。ところが、本件事故による受傷によつて、原告建本は、事故当日から前記入通院期間の一二か月間労働不能を余儀なくされ全く仕事に従事できなかつた。

したがつて、同原告の休業損害は、三六〇万円である。

(三) 逸失利益 一四二〇万三六二〇円

原告建本は前記治療にもかかわらず本件事故による傷害の結果、後頭部・後頸部圧痛等の頸部捻挫の後遺症が残り、昭和五五年九月八日に治療を受けていた倉敷中央病院で症状固定の診断を受けたが、右後遺症は自動車損害賠償保障法施行令二条別表の一二級一二号に該当する。

右後遺症による同原告の労働能力喪失割合は三〇パーセントであり、同原告の右後遺症状が固定したのは満四七歳で、労働可能年齢たる六七歳まで右症状が継続するので、後遺症による労働能力喪失期間は二〇年間である。

これに中間利息として年五分を控除して、同原告の逸失利益の現価を算出すると一四二〇万三六二〇円となる。

(四) 慰藉料 三〇〇万円

本件事故により原告建本の被つた傷害の程度、治療の経過期間、後遺症その他諸般の事情(特に後で述べるように原告会社の倒産に伴う心痛等)によれば、同原告の精神的苦痛に対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 一八〇万円

原告建本は、本訴の提起、追行を弁護士に委任し、その費用報酬を支払う旨約諾しているので、被告において弁護士費用として右金額を負担すべきである。

4  原告会社の損害

(一) 逸失利益 三〇〇万円

原告会社は、昭和五〇年一二月一日に設立された化学産業装置設備の修理保全、配管工事を目的とし、代表取締役を原告建本とし、その他の役員には同人の妻建本橘子を名目上の取締役とする有限会社である。そして、原告会社は、原告建本が常雇九名、非常雇二名程度の従業員を使用して営業を行うと共に、同原告が、原告会社の経営全般、資金繰り、注文取りなどの対外的交渉ならびに現場における工事の指揮・監督などの技術面の重要業務を全て一人で掌握するなど原告会社の機関としての代替性がなく、実質的にみて原告建本の個人会社であり、両者は経済的に同一体をなす関係にあつた会社である。

そこで、原告建本が前記受傷により長期入院を余儀なくされて営業活動に従事できなくなると、原告会社は、会社の経営ができずに行きづまり技術面での信用が大きく下落すると共に原告建本の他に資金繰りのできる従業員がいないため、有効な措置がとれずその結果昭和五四年九月二二日と同月二五日の二回合計八五万円の手形不渡を出して倒産するに至つた。

原告会社は、設立以来本件事故発生に至るまで順調に営業を続け、年間少くとも三〇〇万円の収益をあげてきたにもかかわらず倒産せざるを得なくなり、これにより本件事故当日から原告建本の症状が固定し仕事に復帰することが可能となつた昭和五五年九月八日までの約一年間に少くとも三〇〇万円の得べかりし利益喪失による損害を被つた。

(二) 弁護士費用 三〇万円

原告会社は、本訴の提起、追行を弁護士に委任し、その費用、報酬を支払う旨約諾しているので、被告において弁護士費用として右金額を負担すべきである。

5  よつて、原告建本は被告に対し、本件事故に基づく損害の賠償として二三〇一万一一二二円の内金八〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五四年九月五日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告会社は被告に対し、本件事故に基づく損害賠償として、損害の填補分五〇万円を控除した残額二八〇万円及びこれに対する前同日から完済に至るまで前同様の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実につき(一)ないし(四)は認め、(五)のうち加害車が被害車に追突したことは認めるが、具体的には被害車が減速停止しかけていた時の追突である。(六)は争う。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実のうち(一)は知らない。(二)ないし(四)は争う。(五)の点は弁護士報酬契約の存在は認めるが、その金額の相当性は争う。

本件事故は衝撃の程度も軽い軽微な追突事故で、したがつて、原告建本の受傷も軽度であり、原告ら主張の傷害は本件事故と相当因果関係がない。

4  同4の事実のうち(一)は争い、(二)の点は弁護士報酬契約の存在は認めるが、その金額の相当性は争う。

原告会社は、本件事故前から経営不振で金融業者から高利の融資を受けるなど破綻に瀕している状態にあつたので原告会社の倒産はそもそも右経営状態によるところ大であり、本件事故による原告建本の受傷との相当因果関係はない。

三  抗弁

1  被告は、原告建本に対して、昭和五四年九月一〇日に一〇万円を、同月一三日に五〇万円を弁済した。

2  原告建本は、本件事故による受傷の結果、自動車損害賠償責任保険から二〇万円の支払を受けた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち原告建本が六〇万円の交付を受けたことは認めるが、内一〇万円は同原告に対する被告の見舞金であり、内五〇万円は被告から原告会社に対して運転資金として貸し渡されたものである。

2  同2の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生について

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがなく、また(五)(事故の態様)の点につき、その具体的な態様はさておき被告運転の加害車が原告運転の被害車に追突したことは当事者間に争いがない。

2  同1の(六)(受傷)の事実は、成立に争いのない甲第二号証、第三号証、乙第六号証、証人岩崎廉平の証言及び原告本人尋問の結果によつて、これを認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

二  被告の責任について

請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

したがつて、被告は自動車損害賠償保障法三条に基づき、本件事故によつて生じた原告建本の受傷による損害を賠償する責任がある。

三  原告建本の損害について

1  治療経過及び後遺障害

成立に争いのない甲第二ないし第一五号証、第四二ないし第四八号証、乙第六号証、第一四号証の一ないし四、証人岩崎廉平の証言、鑑定人村川浩正の鑑定の結果、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告建本は、本件事故の際、吐き気と目まいをもよおしたので、直ちに水島第一病院で受診したところ、頸椎捻挫の傷害を受けていると診断され即日(昭和五四年九月五日)入院し、同年一〇月二日までの間(二八日間)、同病院で治療を受けた。

同原告は入院の当初吐気、口渇、運動障害を訴えていたところ、右治療の結果、頸椎の運動性においてやや改善が見られるようになつたものの、目まい、耳鳴り、視野異常も訴えるようになつたので総合治療が可能な倉敷中央病院へ転医した。

(二)  同原告は、倉敷中央病院で受診の結果、外傷性頸椎症、平衡機能障害と診断され、第四頸椎の右の圧痛、右上肢脱力感、耳鳴り、目まい等の症状があつたため、前同日から同年一二月一五日までの間(七五日間)入院し、整形外科のみならず耳鼻科、眼科も含めて頸椎牽引、神経ブロツク注射、薬物投与等の総合治療を受けた。

(三)  そして同原告は、昭和五四年一二月一五日、その症状のうち頭重感、後頭部痛、聴力等にある程度の軽快がみられたことからして退院して通院治療に切りかえられ、その後は、右同日から翌五五年九月八日までの間倉敷中央病院に少くとも一二回に亘り通院して治療を受けたが、その治療は主に薬物投与、神経ブロツク注射等であつた。

(もつとも原告の愁訴はたびたび変化するうえ心因性のものと見られるものもない訳ではなかつた)。

(四)  この結果、同原告は、昭和五五年九月八日に倉敷中央病院で岩崎医師の診察を受けたところ、一応症状固定と考えられる状態であつたが、他覚的所見は大後頭神経と後頸部での圧痛程度で、自覚症状として頭痛、耳鳴り、脱力感が残り、日常生活に多少の不自由さを感じていた。

(五)  同原告は、昭昭五七年四月の鑑定時において。頸椎の運動は正常範囲であり両上・下肢の筋力テストにも特に異常は見られなかつたが、依然頭痛、頸部痛、耳鳴り等を訴え神経症状が残つている状態であつた。なお、原告の第五・第六頸椎及び第四・第五腰椎に軽い変形性変化が認められたがこれは年齢的なものといえるものであつた。

以上の事実を総合すれば、原告建本の右にみた症状は、主として同原告の主訴に基づく診断を基礎としており、年齢的、心因的な側面からの影響も窺えない訳ではないが、その主因は本件事故による外力が加わつた結果によるものと認められるので結局本件事故に起因するものというべきである。したがつて、同原告は、本件事故による受傷の結果、頸部捻挫による頭痛、頸部痛等の自覚症状を残し、昭和五五年九月八日にその症状が固定したと認められる。

2  稼働状況

原告本人尋問の結果及びこれににより各成立の認められる甲第一六、第一七号証、成立に争いのない甲第一八号証並びに証人岩崎廉平の証言によれば、原告建本は化学産業装置設備の修理、保全配管工事を業とする原告会社の代表者としてその業務全般を担当して、広範且つ重要な役割を担つていたところ、その給与(報酬)は一か月三〇万円であつたこと、原告建本は本件事故直後から右業務を休業していること、その休業の原因は、本件事故による頭痛、耳鳴り等の影響による面もあるが、その主たるものは原告会社が倒産してその業務を行ない得ない状況にあつたためであること、さらに同原告自身が右痛みや倒産の衝撃から自己の活動体力に自信を持てないでいることも影響しているところ、同原告の仕事内容の程度からすると六か月程度で従事可能と医学的には言えることが認められ、他にこれに反する証拠はない。

3  損害

(一)  治療費 三〇万五五〇二円

前掲甲第六ないし第一五号証、第四二ないし第四八号証によれば、原告建本は本件事故による治療費として、倉敷中央病院に合計三〇万五五〇二円を支出したことが認められる。

(二)  入院雑費 一〇万二〇〇〇円

原告建本が本件事故による傷害のため通じて一〇二日間入院したことは前認定のとおりで、その間入院雑費として、少くとも一日一〇〇〇円の割合による合計一〇万二〇〇〇円を支出したことは容易に推認されるところである。

(三)  休業損害 二一六万円

右認定したとおり、原告建本は本件事故による受傷のため、事故当日から症状固定と診断された昭和五五年九月八日までの約一二か月間に亘り、稼働できずに休業したことが認められる。

ところでその間の同原告の就労の可否については、右認定した原告の受傷の内容、程度、その治療経過及び仕事内容に照らし、事故当日から六か月の間は就労不能と認めることができるが、その後の六か月は、原告の就労環境の面及び心因的要素の面の影響も強いことを考慮し、その期間を通じて二〇パーセントの休業と認めるのが相当である。

そして、右認定したことからすれば、同原告は右休業期間中一か月三〇万円を下らない収入をあげられたものと認めるのが相当であるから、同原告の本件事故による休業損害は次式のとおり二一六万円である。

300,000×6=1,800,000

300,000×0.2×6=360,000

1,800,000+360,000=2,160,000

(四) 逸失利益 三三万五〇五二円

右認定した原告建本の後遺症からすれば、自動車損害賠償保償法施行令二条別表の一四級一〇号「局部に神経症状を残すもの」に相当すると認められるので、、この後遺障害による労働能力喪失割合は五パーセント、その喪失期間は、その症状からして二年間と認めるのが相当である。

これに前記認定の同原告の収入(一か月三〇万円)を考慮すると、同原告の本件事故時における逸失利益の現価(年別ホフマン式計算)は、次式のとおり三三万五〇五二円である。

300,000×12×0.05×1.8614=335,052

(五) 慰藉料 一三〇万円

原告建本の受傷及び後遺障害の内容、程度、入通院期間や、仕事内容、後記原告会社の事情等本件に顕れた諸般の事情を勘案すれば、本件事故によつて同原告が受けた精神的苦痛を慰藉すべき金額は一三〇万円と認めるのが相当である。

(六) 以上によれば、本件事故によつて原告建本の受けた損害は、合計四二〇万二五五四円である。

四  原告会社の損害

1  成立に争いのない甲第一八号証、弁論の全趣旨によつて成立の認められる甲第二〇号証、原告本人の尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば次のとおりの事実を認めることができる。

原告会社は、昭和五〇年一二月に設立された化学産業装置設備の修理保全、配管工事を業務内容とする有限会社であるが、原告建本をその代表取締役とし、同人の妻建本橘子を名目上その取締役とするだけの従業員九名程度の小規模な会社であつた。そして原告会社はその仕事を全て山崎プラント株式会社を通じて請負い、工事の元請との折衝、受注、見積り、現場での仕事の段取り、指揮監督はもとより資金繰り、会計帳簿類の記帳に至るまで対外的対内的重要なことは全て原告建本が掌握していた。ところが、原告会社は、原告建本が本件事故のため受傷入院していた間の昭和五四年九月二〇日額面六〇万円の、同月二二日額面二五万円の二回の手形不渡を出して倒産した。

右認定の事実によれば、原告会社は法人組織をとつていても、その企業規模、経営の実態において原告建本に全面的に依存しているいわゆる個人会社とみることができ、原告建本は代替性のない存在であるから同人と原告会社は経済的に一体をなす関係にあるというべきである。したがつて、原告会社の損害いわゆる間接損害であつても受傷者個人と企業が右のような関係にある場合に限つては、原告建本の受傷によつて不可避的に発生するに至つたと認められる原告会社の損害があるならば、被告はその損害を賠償する責任を負うべきであると解される。

2  そこで前記原告会社の倒産が原告建本の受傷にもつぱら起因して生じたものか否か、換言すれば不可避的に発生した相当因果関係のある損害と評価できるか否かにつき判断する。

前掲甲第一八、第二〇号証、原告本人尋問の結果及びこれにより各成立の認められる甲第二一ないし第二三号証、第三九、第四〇号証の各一、二、第四一号証、成立に争いのない乙第一五ないし第一八号証、倉敷社会保険事務所に対する調査嘱託の結果、被告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。

原告会社の業務内容は前認定のとおりであるところ、原告会社の工事の受注先である元請け企業は一社のみであつたこと、原告会社と同様の下請企業は他数社があつていずれも原告会社を含めて工事を受注する為、激しい競争にしのぎを削つている状況にあつたこと、したがつて原告会社は、元請企業の営業状態ひいては鉄工業界全体の景気変動の影響を受け易い業務形態であつたことしかも当時業界の景気は低迷していて季節的にも毎年八月、九月は全体の受注が減る時期でもあつたこと、ところで、原告会社の設立以来の毎期の決算書を見ると第一期(昭和五〇年一二月一日から昭和五一年五月三一日まで)損失金一七万一四六三円、第二期(同年六月一日から昭和五二年五月三一日まで)利益金一二万三九四六円、第三期(同年六月一日から昭和五三年五月三一日まで)損失金五〇万三五三五円であつて、決算上は第二期以外利益の計上が為されていないこと(なお本件事故直前の昭和五三年六月一日から昭和五四年五月三一日までの第四期分については決算書の提出なく不明である。)、固定資産としては各決算書に特別な変動はなく、工具、車輌運搬具程度であつてその他特に注目すべきものは有していない状態であつたこと、原告会社の社会保険料(健康保険料その他)の支払が昭和五四年一月分及び同年三月分から同年八月分まで合計二二七万五〇七六円滞つている状態であつたこと、そして不渡直前の経過をみるに、原告建本は手形金決済の為の融資を金融業者に依頼して本件事故のころ二〇〇万円を借り受ける約束をしている状況にあつたこと、しかし、同原告が受傷入院後、右金融業者から融資を断られたので被告に借入を申込み昭和五四年九月一三日五〇万円を同人から受領して原告会社の資金として費消したこと、一方原告建本は元請業者へ融資を働きかけるなど他の金策の手段を講じた形跡は全くないことそして前認定のとおり手形不渡を出して倒産したこと

以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、原告会社の本件事故当時の経営は、不安定な要素を多分に包含している事情が推認でき必ずしも順調に利益を上げていた企業であるとは言い難い。

ところで、原告らは、原告会社はもともと原告建本が従業員として勤務していた有限会社萩野工業が昭和五〇年九月ころ倒産したが、右会社の約一七〇〇万円の負債を債権者に割賦返済する条件で右会社の事業を引き継いで設立されたものであつて、本件事故当時の負債は一〇〇万円程度に減つており、したがつて毎年少くとも三〇〇万円を下らない利益を原告会社があげて、右返済に充ててきたことは明らかであり順調な経営を続けていた企業である旨主張し、原告建本本人尋問の結果中にはそれに沿う旨の供述がある。

しかしながら、右供述は、前記萩野工業の債務の存在を示す証書あるいはその債権者らに弁済したことを示す領収書などの客観的資料の提出は一切ないことからもさらに前掲各決算書、調書嘱託の結果等と照らしあわせても俄に信用することはできない。

右認定判断したことからすれば、原告建本が積極的に資金繰りに動けなかつたことが、原告会社の倒産に全く影響がないとは言えないものの、本件事故から倒産までの間隔が極めて短いことも考え併せると、原告会社の倒産がもつぱら本件事故即ち原告建本の休業に起因しているとまでは認定できるに足りる証拠はなく、原告会社は、倒産に基づく損害の賠償を被告に対し求めることはできないといわなければならない。

ただ原告建本の個人会社である原告会社が、原告建本の受傷入院により経営に支障をきたした面も否定しがたいのでこれは原告建本の慰藉料算定につき考慮することとした。

五  原告建本の賠償額

1  損害の填補

抗弁1の事実中、被告が原告建本に対し、二度に亘り合計六〇万円を交付したことは当事者間に争いがない。

そのうち一〇万円については成立に争いのない乙第一三号証によれば被告が見舞金として原告建本に交付しているものであると認められるが、名目は見舞金であつても特段の事情のない限り、本件事故による損害の填補として支払われたとみるべきであり、右特段の事情を認めるに足りる証拠は本件にはない。

さらに、五〇万円について、原告らは原告会社に対して貸し付けられたものであると主張するが、前認定したとおり原告会社の損害が認められない以上、それは原告建本個人の損害の填補に充当されたとみるべきである。なお成立に争いのない乙第一二号証も右認定を妨げる証拠とはならない。

抗弁2の事実については当事者間に争いがない。

したがつて、原告建本は本件事故による損害の填補として合計八〇万円の支払を受けたことが認められ、これを前記損害額から控除すると三四〇万二五五四円となる。

2  弁護士費用

右のとおり、原告建本は被告に対し三四〇万二五五四円の支払を求められるところ、弁論の全趣旨によれば、同原告はやむなく弁護士たる原告訴訟代理人に本訴の提起と追行を委任したことが認められ、これに本件事案の内容、審理経過、認容額に照らすと、同原告が被告に負担させるのが相当であると認められる弁護士費用は三五万円である。

3  以上によれば、被告は原告建本に対し、本件事故による損害賠償として三七五万二五五四円の支払義務がある。

六  結論

よつて、原告建本の本訴請求は、被告に対し、三七五万二五五四円及び内金三四〇万二五五四円に対する本件事故発生の日である昭和五四年九月五日から、内金三五万円に対する昭和五五年二月七日(本訴状送達の翌日)から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、原告会社の本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、担保を条件とする仮執行免脱の宣言についてはその必要がないものと認め却下する。

(裁判官 安藤裕子)

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